星野智幸 / 未来は記憶の繭のなかでつくられる


星野智幸 / 未来は記憶の繭のなかでつくられる / 岩波書店(238P)・2014年11月(141118−1121) 】


・内容
 「過ちは過去を忘れることから始まる。私は過去を、未来の中に埋め込んでおきたい。この本は、未来に対する仕込みとしての過去なのだ」 読むべき小説がある。待たれる言葉がある。居るべきところがある。持つべき心がある ―忘れないために、真に自分を取り戻すために、生きるために! 小説界のファンタジスタ、待望の初エッセイ集。
身辺雑記、社会時評的な思索、旅の記録、文学をめぐる断章、サッカー…。1997年にデビューしてから現在に至る17年間に書いた小説以外の文章を選り抜いて収録。


     


今年刊行された星野智幸さんの傑作『夜は終わらない』は11年の震災直前に書き始められた。岩波書店のWEB連載《3.11を心に刻んで》には、パブロ・ネルーダの詩を引いて 「私たちの一夜は長く、いまだに明けません。」と記していた。あの奇妙な男女の呪詛に満ちた語りの応酬は、招きよせた死者たちの言魂に耳を澄まそうとする儀式空間でもあったのだ。
震災のパニックにみまわれながら紡がれた物語は読書の愉悦溢れる作品となったが、著者にとってはある種のドキュメントであったのかもしれない。
本書は星野さんがこれまでに新聞雑誌等に寄稿した随想を年代順に並べた選集。1998−2014の間に発表された文章が集められている。

 もうたくさんなのだ。言論が、現実から離陸し、現実を脅かさない領域で力関係を作り上げ、白熱していくことは。そのような言葉のあり方が原発事故の起こるこの社会を作った、という後悔が私から言葉を奪う。


日々の仕事と雑事に追われて過ごしていると、いま自分が生きている社会がどんな状態なのかわかりにくいものだ。この国は本当に民主主義国家なのだろうかと首をひねる現実を目にしながら、その思考を深めるだけの時間の余裕を持てずに本来語られるべき言葉は封印されていく。言論の規制と自粛の隙間に排他的な暴力志向が侵入する。とりあえず選挙には行くけれど、それだけでわれわれはわれわれの国民主権を実践できているのか。基本的人権の遵守を監視できているのか。
ホームレスや自殺者、無縁社会といったマイノリティの問題に強い関心を寄せて発信を続ける星野さんの文章を読んで、この社会の実相を知らされることは多い。自分には縁遠いものと望遠しがちな現象が、実は自分の生活環境と地続きなのであり、けして彼らが枠の外の存在ではないことに気づかされる。その区切りの枠線が未成熟な弱さによって引かれていることも。


少ない時間をやりくりして読書しながら、どうして自分はこんな本を読んでいるのかと思うことがいまだにある。小説にしろノンフィクションにしろ、自分の実生活に何も関わりがなく、仕事にも役立たないとわかっていて、なぜ読むのか? その答は本書の中に見つけることができる。星野智幸が小説を書く理由は、自分が読書する理由とたぶん同じなのだと。
世界中に無数ある書物の中から一冊を選ぶ行為に始まる読書は、個人の自由で能動的主体的な行動である。そして読書は「よく聞く」ことでもある。文字にこめられた祈りや叫びを感じ取ろうとする作業は楽なことばかりではなく、むしろ苦痛を伴うことの方が多いかもしれない。しかし、その労苦(それは絶対に民主主義的態度である)を通じて自分がつかみ取った言葉は、世界唯一のものとなるだろう。
われ知らず本の世界で行っているそんな作業を、少しずつでも現実の社会生活で、獲得した言葉の行動への変換として実行したいものである。

 私からすれば、他人がどのようなことで怒り悲しみプライドを傷つけられるか、感じることのできる感性は、言葉を読みとる作業、小説を読みとる作業と密接に結びついている。己の存在を賭して小説を読むことが、他人への想像力を働かせる。その想像力を封じたところから、暴力は始まる。


星野智幸さんと自分は同年代の生まれなので、過去へと遡る形で収められている本書の文章の端々に「新人類」「モラトリアム」と呼ばれた同世代感覚を感じることができたのも嬉しかった。バブルの時代にレールに乗ることなく自主的な選択をした彼と自分とはまったく違う人生だが、「SIEMENS」といえば即座にレアルのユニフォームを連想してしまうあたり、自分と似ているところがあるようにも感じたのだった。
八月六日の原爆死没者慰霊式典、被爆者遺族の面前で平然と昨年と同じスピーチをした現首相の軽率な言語感覚は情けないほどだ。政府と国民の信頼関係は、まず言葉から始まるはずだ。一方、星野さんは「文学」へのこだわりと、(それが正しいか正しくないかではなく)自分の一言一句に対する自負と責任感において信頼のおける作家であり、「われらが世代最良の精神」を持つ大人の一人だと思っている。もちろんそう言うからには、こちらは想像力を駆使して作品に対峙する厳しい読者であるべく努力するつもりだ。
今日自分が読む本が、明日星野智幸が書く物語へとつながっていくと信じて、今夜も本を開くのである。