ポール・アダム / ヴァイオリン職人の探求と推理


【 ポール・アダム / ヴァイオリン職人の探求と推理 / 創元推理文庫(414P)・2014年5月(141123−1125) 】
【 ポール・アダム / ヴァイオリン職人と天才演奏家の秘密 / 創元推理文庫(408P)・2014年11月(141125−1128) 】


THE RAINALDI QUARTET by PAUL ADAM 2004
PAGANINI'S GHOST by PAUL ADAM 2009
訳:青木悦子


・内容
 ジャンニはイタリアのヴァイオリン職人。ある夜、同業者で親友のトマソが殺害されてしまう。前の週にイギリスへ、“メシアの姉妹”という幻のストラディヴァリを探しにいっていたらしい。ジャンニは友人の刑事に協力して事件を探り始めるが、新たな殺人が……。名職人が、豊かな人脈と知識、鋭い洞察力を武器に、楽器にまつわる謎に挑む!


     


NHKスペシャル「至高のバイオリン ストラディヴァリウスの謎」を見たのは昨年の11月3日。今年の11月3日は五嶋みどりさんの番組をやっていた。‘文化の日はヴァイオリン’という公式がNHKにはあるのだろうか。自分はクラシック素人なので、プロのソリストはみんなストラドを使っているものと思っていたのだが(それしか知らない)、五嶋さんの愛器は「グァルネリ・デル・ジェス」だった。
本作はイタリア北部の街クレモナに暮らす初老の弦楽器職人が同業の友人の殺人事件に関わりながら、幻の名器の行方を追うことになる音楽ミステリーで、そのグァルネリも重要な役割を担って登場する。三、四百年前も昔の木工品に魅せられ血道を上げる古楽器ディーラーやアンティーク蒐集家、それに贋作の存在を絡め、ヴァイオリンという楽器の神秘的、あるいは悪魔的な魅力がぞんぶんに伝わってきた。
雰囲気は― 『パリ左岸のピアノ工房』と『バイエルの謎』のヴァイオリン版、それに『古書の来歴』の成分濃いめ、という感じで、二冊とも大いに読みごたえがあった。

 踏んだ! わたしは軽蔑の念を抑えるのがやっとだった。その人物はストラディヴァリのヴァイオリン、すなわち二百万ユーロの価値はあろうという、三世紀のあいだ無傷で生き延びてきたヴァイオリンを所有していたのだ。なのにそれを踏んづけたとは。


創元の「推理」文庫に収められてはいるが、事件の謎解きよりも主役は‘幻の名器’である。戦争と政変のヨーロッパの歴史の中で失われてしまった数々の名匠の逸品。ストラディヴァリは生涯に千百余りのヴァイオリンを製作したが、現存して記録されているのは六百五十挺ほどで、四百五十挺は消息不明なのだという。おかげで世界中に贋作やレプリカが出回っていて、それ以上に真偽定かではない怪しい噂話は絶えることがなく、こういう小説も書かれるというわけだ。
二作目ではパガニーニが実際に愛用したグァルネリ「イル・カノーネ」(カノン、“大砲”)と、彼が所有していたと思われる小型ヴァイオリンの消息が事件の縦糸として扱われる。宝石を散りばめた黄金のケースが見つかる。それに収められていたのは、ダイヤモンドやルビーやエメラルドが満艦飾のミニチュアヴァイオリンだった……! それは誰の依頼で作られ、誰の手に渡り、そして今どこにあるのか? パガニーニの未発表曲の存在とともに、国境を越え、ナポレオンの妹やロッシーニも絡んだ壮大な歴史劇が秘められているのだった。
サイドストーリーとして、コンクールに優勝して将来を嘱望される天才若手ヴァイオリニストの悲哀も並行して綴られていく。彼は親の厳しい英才教育のために、アルファベットを覚えるより早く楽譜を読めるようになり、普通の子どもとは違う人生を義務づけられている。パガニーニもそんな青春期を過ごしたのだった。



そうした歴史と音楽にまつわるエピソードがてんこ盛りでお腹いっぱいになるのだが、そのうえさらに六十代の主人公ジャンニのモノローグが読ませる。「幸福な記憶は不幸な記憶よりつらいものである」 「人間は回復力旺盛な種族なのだ」等々、ヴァイオリン製作と修復を生業として半世紀を実直に生きてきた男の言葉には箴言めいた説得力があった。妻に先立たれて人生の最終コーナーを回った彼の孤独を慰めるのも、また音楽なのだった。 
ヴァイオリンは展示物でも装飾品でもなく、誰かに弾かれ、その歌を聴かれるべきだという純粋な彼の態度は、彼を巻きこむことになった人間の欲望に端を発する事件への、現在の音楽業界の暗部への、まっとうな批判としてさりげなく機能しているように見えた。
ただ、彼があまりに分別くさく、ストーリーとしては彼の博学な音楽知識と楽器鑑識眼に頼りすぎのように思わないでもない。

ストラディヴァリの楽器は綿密に作られ、どんな小さな部分も注意がゆきとどいている。グァルネリのほうは ―とりわけ“大砲”は― もっと粗削りで派手だ。しかし外見にだまされてはいけない。うわべの飾りは違うかもしれないが、その下ではどちらも天使のごとく歌うのだ。


芸術に対するジャンニの清廉な態度は、イタリア人のリアリズムとはちょっと違う感じがしたのだが、これを書いたのはイギリス人なのだった。イタリアを舞台にしたイタリア人の物語だが、それをイギリス人が書く。世界的に秀でたヴァイオリニストも作曲家も生みはしなかったが、クラシック音楽界において英国が果たしてきた役割みたいなものを感じさせる作品でもあった。
先のNHKスペシャルでは、ストラドの音響をデジタル技術を駆使して科学的に解析したり、ボディを完全に復元してみたりしていた。3Dプリンタで完璧なレプリカを複製することすらも現在では容易だろう。しかし、ストラディヴァリが使ったと思われる木材を使ってまったく同じ寸法で同じ構造強度で作っても、鳴る音はちがうのである…… この謎、不可侵の聖域とも言えそうな謎は、二十一世紀の科学技術をもってしても解明できなさそうなのだ。弾き手や聴き手の環境のせいかもしれない。現代の空気中には十八世紀の空気には含まれていなかった「音」に有害な不純物が混ざっているのかもしれない。
人間が宇宙に飛び出す時代に、数百年前の松と楓と膠とニスで出来た木製楽器を越えることができない。そういう神話は永遠に残しておけばいいのである。物語のネタとして。
一冊目を読んでいて、これは青柳いづみこさんの大好物、『六本指のゴルトベルク』的な作品だなと思っていたら、二冊目の解説は(やっぱり!)青柳さんが書いていた(笑)。