斎藤健一郎 / 5アンペア生活をやってみた


斎藤健一郎 / 5アンペア生活をやってみた / 岩波ジュニア新書(217P)・2014年9月(141129−1201) 】


・内容
 電気に頼らない暮らしをしたい。東日本大震災をきっかけに節電生活を決意した記者が始めたのは「普通の生活はできなくなる」という5アンペア生活。エアコンや電子レンジはもう使えない。冷蔵庫やテレビは? 身の回りにあふれる電化製品と決別して試行錯誤の末に辿りついた本当に豊かな生き方とは。



     


福島の原発事故以降、「電気」というエネルギーがどのようなものなのか考えなおした人は多いと思う。自分の家に送られてくる電気がどこの発電所で作られたものなのか、火力なのか水力なのか原発なのか、それすら知らされることはなく、また電力会社を選ぶこともできない。これだけ商品が多様化し情報開示が求められる現代に、電気という商品は独占的でその品質は不透明なまま流通していた。
脱原発の声が広まっていても、いざ再稼働されれば嫌でもその電力を使わされる。あれだけの災禍を経験しながら嫌悪感と罪悪感、不信感を抱えたままで、また汚れた手をつながなければならないのか?
ならば電力そのものを使わないというパーソナルな選択をしてしまおう。「脱・原発依存」を飛び越えて、「脱・電力依存」へと舵を切った人がいる。

 稼働停止。生まれてからずっと、24時間365日、休まず動き続けているのが当たり前だった冷蔵庫を休ませたことの影響は、想像以上に大きいものでした。


著者は東京出身の大手新聞記者。郡山支局に勤務していたときに3.11に遭い、自身も被災した。原発事故の取材を通して、「コンセントの向こう側」を考えるようになり、無思慮に電気を使ってきた自分の生活態度をあらためようと決意する。電力会社との契約を最も少ない5Aに変え、エアコンや電子レンジなど消費電力500Wを越す家電品をいさぎよくあきらめた省エネ(少エネ)生活を始めた。
短期に異動転勤がある単身世帯であり、記者として生活体験記事のネタにできるという側面もあっただろう。しかし、原発には反対しながらこれまで通りの浪費生活を続けることはできないという強い意思が原動力となった。
もちろん始めは不便に感じる。だが知恵をしぼって熱さ寒さを克服する方法を発見していく。そうして一ヶ月の電気代はたちまち300円以下になったのだが、消費電力を減らすことはけして生活水準を下げることではないことがよくわかる。それは電気との関わりのみならず、それまで当たり前のこととしてきた生活全般をデザインしなおすことだった。


今春の消費増税後、個人消費が冷えこんでいると政府や経済研究所員らは解説する。彼らは右下がりのグラフを指して、それを消費者が賢くなったからだとは絶対に認めない。そして再び数値を上げるために打ち出すのは、あいかわらず「産めよ殖やせよ」的な、景気の浮揚感を演出する大砲巨艦主義的な経済政策である。要らない物はもう買わないのだという市民の生活信条を読めない(読もうとしない)のだろう。
自分だって利潤を追求する一企業に勤めている以上、そのシステムの中に生かされているわけだが、個人としてはもうそんなサイクルからは抜けようと思っている。つつましく暮らそうと思っているのに、その生活が核技術に支えられているなんていうのはまっぴらごめんなのだ。 この道しかない? 自分で責任を取ろうとはしないくせに勝手なことを言うものではない。道はいくつもあるはずだし、誰かに押しつけられる筋合いもない。汚れたメインストリートより、暗く細くとも安全な道を歩くのだ。

 ふくれ上がり伸びきった大量生産、大量消費、大量廃棄の社会からいち早く抜けて、エネルギーや物質文明に頼らない新進の道を自らの足で踏みしめ、切りひらいていく。それも、眉間にしわを刻むような辛苦や忍耐をするのではない、優雅に、豊かに、楽しく節電生活を歩んでいきたい。


様々に工夫を凝らして5A生活を軌道に乗せた著者は「自産自消」の自家発電システムの導入まで始めている。自分が使う分だけの電気があればいい。少し足りなくても自分が我慢すればいい。誰に気兼ねする必要はなく、何ものにも加担せず、誰かの犠牲の上に立たなくてすむのなら、何より精神衛生に良さそうである。
たとえ全消費電力のなかで個人の省エネ努力は微々たるものだとしても、それでもいいのだ。国や電力会社を動かそうというのではない。あくまで個人の自己裁量と責任において、さりげなく電気を「選ぶ」。特別なことのように思えるのだが、読んでいるとそう難しいことではなさそうである。たぶんダイエットと同じで、こういうことは楽しく軽やかに行われなければならないのだろう。
「真の文明は山を荒さず、川を荒さず、村を破らず、人を殺さざるべし」 ― 憲法で保障される健康で文化的な生活は、自分の手で実現すべくクールに努力する。依存からの脱却は政策に縛られない自由な解放感に満ちて快適なものであるように映る。