葉室麟、伊東潤 / 決戦!関ヶ原


葉室麟伊東潤 / 決戦!関ヶ原 / 講談社(308P)・2014年11月(141210−1213) 】


・内容
 慶長五年九月十五日(一六〇〇年十月二十一日)。天下分け目の大戦、関ヶ原の戦いが勃発。
―なぜ、勝てたのか― 東軍…伊東潤(徳川家康)/天野純希(織田有楽斎)/吉川永青(可児才蔵)
―負ける戦だったのか― 西軍…葉室麟(石田三成)/上田秀人(宇喜多秀家)/矢野隆(島津義弘)
そして、両軍の運命を握る男― 冲方丁(小早川秀秋) 
当代の人気作家7人が参陣。日本史上最大の決戦を、男たちが熱く描いた「競作長編」。


     


これほど楽しく読める「関ヶ原」は他にないだろう。1600年、徳川家康石田三成、小早川の寝返り。受験勉強用に記憶した単語程度の知識しか持たない自分にも、どういう経緯でこの合戦が起こり、推移し、決着したのか、目に映したように理解することができた。
秀吉亡き後の日本の命運を決める一戦。東西両軍合わせて十五万もの兵が集結した史上最大の合戦にそれぞれの思惑を秘めて臨んだ七人の武将を七人の作家が描く。大将格の家康を伊東潤、光成を葉室麟に任せ、配下の将を中堅若手が担うという布陣。歴史上の東西対抗、いわばオールスター戦を、オールスター作家陣がそれぞれバラエティに富む手腕で描くという、ありそうでなかった、そして面白くないはずがない「関ヶ原」である。

 「あわわ……」
 はじまった。はじまってしまった。まずは何をすればいいのか。軍を前に進めるべきか、それともこの場にとどまるべきか。昔読んだ兵法書には、何と書いてあっただろう。駄目だ、まったく思い出せない。私の頭はすっかり混乱し、右手に握る采配は小刻みに震えていた。


当然のことながら、一人の作家が特定の人物を主人公に書く歴史上の大事件は、すでに書きつくされたものであっても、どうしても説明が多く長くなりがちだ。二度の朝鮮出兵と秀吉の死からここに至る諜略戦や武家間の複雑な絡まりを書いていくと短篇ではとても収まりがつかない。読む方も追いていくのに骨が折れる。それを七人の目で七つの短篇にして組み上げた。これはまず企画の勝利である。
特筆すべきはすべて書き下ろしであること。この本のために‘出陣’する作家をどのように東西に組み分け、担当武将が決められたのだろう。それぞれ好き勝手に書いてしまえば細部に齟齬が出るかもしれない。たとえば、朝鮮出兵の労を労い光成が催した茶会での福島正則の態度や東軍の先手抜け駆けを巡る諍いなど、伏線として各話に共通して扱われるエピソードに大きなずれはなかったと思う。
もちろん作家間にはライバル心、特に‘大将格’の葉室麟伊東潤への対抗心もあっただろう。そのようなことを想像しながら読むのも楽しかったのだが、これは七本の原稿をただ並べただけでは成り立たなかったはずだ。編集者の熱意とアイデアの賜物だろう。


それぞれの歴史作家の文体や特徴を知っているわけではないが、いずれも甲乙付けがたい出来と感じた。
第一話、つまり先鋒、一番槍を任されたのは伊東潤の「人を致して」。伊東さんが得意とするのは鎌倉〜戦国期の東国の小大名であり、天下人その人を書く作風ではない。その彼が家康を描く。オールスター戦の祭のようなこの場を粋に感じながら楽しんでいるのが感じられ、その筆致には彼らしい剛腕ぶりがしっかり表れていて、こちらも嬉しくなった。
異色だったのは天野純希の「有楽斎の城」。信長の弟でありながら武功はなく茶道楽に浸っていた織田長益が、場違いの大戦に徳川方の一将として参加しながら自分の来し方を振り返る。ただ一話、この作品だけが一人称で書かれているのも新鮮だった。
味方の苦戦を目の当たりにしながら兵を動かそうとしない島津義弘を書いた矢野隆「丸に十文字」も印象に残る。光成への反感から陣を出ようとしない前半はひたすら厭戦気分のぼやき節が続くのだが後半は急転一気、すでに西軍は潰走し帰趨の決した戦場を中央突破して家康の本陣に殺到せんと熱く血をたぎらせるコントラストが鮮やかだった。

 ― 思えば、他人に致されてばかりの生涯だったな。
 信玄、信長、秀吉、そして石田三成が、己よりも頭がいいことは間違いない。しかし今度ばかりは、致されてしまえば、すべてを失うことになる。
 ― もう、わしは致されぬぞ。
 そのためには、光成の上を行く手札を用意せねばならない。家康の脳裏に、一人の男の顔が浮かんだ。


この合戦の‘影の主役’小早川秀秋を書くのは冲方丁「真紅の米」。『天地明察』『光圀伝』で時代小説に転身した彼の初めて合戦ものということでも注目して読んだ。現代に常識のように定着している小早川の‘虚け’‘裏切り者’などの汚名を慎重に避けて、若干十九歳ながらしたたかに難局を切り抜けた青年像を瑞々しく描いていて好感を持った。
この秀秋像が示すとおり、全体的に、豊臣家への忠誠や恩顧がありながら光成に与することの是非に揺れていた西軍が一枚岩ではありえなかった様がよく伝わってきたし、そこに若手作家の共感や現代的解釈が加えられ、若々しく清新な「関ヶ原」になっていたと思う。
歴史上の出来事の中でもよく知られていると思われる関ヶ原だが、参戦したそれぞれにそれぞれの関ヶ原があったことをまざまざと感じさせられる。結果だけを見れば大きな流れの中で家康側の圧勝に終わった戦だが、見る者によって解釈は違うことはあるだろうし、それ以上に参戦していた武将にとっての感じ方は千差万別なのである。NHK大河的に主人公を偶像化する大仰な押しつけがましさはないし、それは個人の長篇作品からは決して生じない感慨だろうと思う。
最後に自分なりの独断を少し加えると、これは1600年にタイムトラベルして取材してきた七人の作家によるドキュメンタリーで、読者はタイムマシン物SFとして楽しむこともできる「関ヶ原」なのである。本年ベストの一冊!