L.アームストロング/ただマイヨ・ジョーヌのためでなく

米原万里『打ちのめされるようなすごい本』(文春文庫・2009年)を先々週から読んでいる。目がくらむほど活字も内容もぎっしり詰まった500Pを超える分厚い本なのだが、居間に置いておいて新聞やニュースを見たあとで五分か十分ぐらいずつ読むというペースで、ここのところ日課のようになっている。
ロシア語通訳・翻訳者として活躍された米原さんはだいの読書家でもあった。週刊文春に連載された「私の読書日記」をまとめたこの本では、ロシア語の専門家らしくソ連・東欧の歴史関連の文献と当時の時世(9.11後のアフガン〜イラク戦争と無条件で対米追従する小泉政権)をめぐる論評が多く扱われている。自分が読んでみたいと思う本はほとんどないのだけれど、翻訳の達人は当然日本語の名手でもあって、一冊を要領よくまとめる手際の良さと明晰な文章の冴えに惚れぼれする。まっとうで容赦のない語り口は本を解説しながら鋭い文明批評にもなっていて飽きることがない。
それが200Pほど読み進んだ2003年の「身内の反乱者」と題された回で、自身の卵巣に癌が見つかったことが告白される。不運にも母親の悲報も重なる。あくまで雑誌連載中の「読書日記」なので米原さんは悲痛を隠して、いわゆる癌本を読んだ印象をいつもどおりに書きつけているのだが、…どんな思いで書かれたか、想像するだに胸を突かれる。
そしてこの連載は「癌治療本を我が身を以て検証」と題された、いささか自嘲気味な、しかし筆致に切迫と痛切が加わった2006年の三回で唐突に途絶える。

     


この本と一緒に買ったのが本書。
いつも行く本屋の海外ノンフィクションのコーナーに前からずっとあって、手に取ったことも数度。でも、いかにもアメリカ的な、押しつけがましい癌生還者の自画自賛なのだろうとパスしていたのだった。他に読みたい本はたくさんあるし。
それが一転、このアメリカ人サイクリストの闘病記を読む気になったのは、清志郎の死がきっかけだ。


ロック・スター清志郎が自転車をやってるというのはファンなら誰もが知っていることだった。ステージに立てば、いつも昔のままの清志郎だったし、一方メイクを落とせばシンプルライフを好み息子をこよなく愛する良き父親であるのも知られていたから、彼がクルマより自転車を選ぶことにたいした疑問も持なかった。
彼のHP“地味変”には、自転車を始めたきっかけは「雪崩にあって遭難した息子を父親が自力で救い出しに行った」というニュースに感銘を受けて自分も体力をつける必要性を感じたから、というようなことが書いてあったと思う。


だけど、(…ここから例によって妄想…)清志郎はこれを読んでいたんじゃないか?今にして思えば、「ツール・ド・奥の細道」とか「鹿児島」とか、ただのサイクリングの趣味以上ののめり込み方だったと感じられてならないのだ。もしかしたら、喉頭癌を公表し休業に入るずっと前に、彼にはすでに喉のポリープとか何らかの兆候があって、集め読んだ本の中にこの自転車乗りの奇跡的な復活劇もあったのではないか?そして、すがる思いで自転車を始めたのではないのか?
そんな超個人的な胸騒ぎが芽生えて買ってきたのだった。


ランス・アームストロング/ただマイヨ・ジョーヌのためでなく(350P)/講談社・2000年(090530-0602)】
It's Not About The Bike by Lance Armstrong 2000
訳:安次嶺佳子


アームストロングが癌を克服して自転車レースに復帰、その後ツール・ド・フランスを制覇した男だということは知っていた。アルプス、ピレネーの山岳ステージを含むフランス全土を三週間で走り抜く、世界で最も苛酷といわれるレースで優勝したとなると、どうしても「癌を克服」なんて枕詞は霞んでしまう。事実をよく知りもせず「どうせ克服できる程度の癌だったのだろう」と不謹慎な意地悪い見方をしていたのだが、それはとんでもない見当違いだった。
1993年の世界選手権を制しトップ・ランカーに名を連ね始めた彼が25歳のときに見舞われたのは、第三期の睾丸癌だった。すでに肺に広範囲の転移があり脳への転移の可能性も高い。生存率は20%以下。生殖能力も失くすだろうとの診断だった。


       


数度の手術と苦しい化学療法を経て、彼は癌からの生還を果たす。だが、一命をとりとめて日常生活を取り戻しただけでは、彼にとっては回復でしかなかった。再び自転車に乗り、癌以前の自分よりも強いレーサーにならなければ、真の意味で癌を克服したとは言えないのだった。
再発の不安に怯えながらペダルを踏んでも、思うように走れない。激しい副作用を伴った化学療法のあとでは、以前の自転車選手の肉体に戻るのは無理なのかもしれない。一年に及ぶ治療が終わると目標を見失い無気力状態に陥ってしまう。レーサーとしての魂を取り戻すまでにはさらに一年を要したのだが、この期間の苦悩は、絶望に閉ざされた闘病の苦しみとはまた別の、生きていることを自分で自分に証明してみせなければならない試練だった。


医師と治療方法の選択で、彼が一般の患者より恵まれていたのは確かだろう。だが、なぜ彼が生還できたのかは、実のところ本人にも医師にもわからないのだ。彼は率直に言う「生還できたのはたまたまだ」と。
では、なぜ彼がレースに復帰して、優勝できたのか。その答は明白だった。闘病を境にして彼は再生したからだ。

自転車のロードレースはヨーロッパの他の競技と同様、勝負以前にまず自然への調和、信頼と協調、礼儀と尊重が求められ、最後に勇気と忍耐が試される孤独な闘いだ。以前のアームストロングは流れを無視したアタックを仕掛ける向こうみずで一人よがりなワン・デー・レーサーだった。彼にとって自転車は仕事でしかなく、選手仲間からもファンからも尊敬されることはなかった。
彼が勝てるようになったのは、治療を通して自分と真摯に向き合い、癌との闘いが自転車レースに似ていたことに気づいてからだった。単に肉体を強靱に鍛えるだけでは足りない。高い目的意識を持ちながら、ときには自制し、精神の安定を保つことの重要性に目ざめていったことが、ツールを走り抜くステージ・レーサーへと彼を成長させたのだった。

(成熟した人間でなければ勝てないツール・ド・フランスはつくづくヨーロッパらしい大会であり、スポーツというよりは文化の範疇にあるのだと思わずにいられない)


この本を清志郎が読んだかどうか。胸騒ぎは確信に変わった。時期的に合う。どのタイミングで読んだかまではわかりっこないが、自転車に入れ込んでいる者ならアームストロングと本書のことは間違いなく知っていたはずでもある。
生還の記録ではあるが、けして癌に必ず勝てると安易な希望を抱かせる内容ではない。だけど、本書は自転車競技の複雑で奥深い魅力にあふれている。癌をキーワードに読み始めたのだとしても、最後には自転車に挑戦することの素晴らしさを知ることになるのだ。
「いやぁ、ランス・アームストロングの本で自転車にハマっちゃって…」なんてことを清志郎は口が裂けても言う男ではなかった。それは音楽の話でもそうだったから。

※本書はランス・アームストロングが1999年のツール・ド・フランスで個人総合優勝を果たした後に書かれたものだが、その後も彼はツールの王座に君臨し続け、前人未踏の七連覇(!)を達成して2005年に引退した。



米原さんもアームストロングも癌を宣告されたとき、ほとんど同じ行動をするのだった。慌てふためきながら癌に関する本を買い漁り、ネットで記事を手当たり次第に集め、資料を読みまくって自分で出来そうなことを探すのだ。腫瘍マーカー。予後。寛解。リンパ球。イフォスファミド。EPO。いつしか癌の専門用語や計算式を覚えてしまって、自分の数値データを日々気にせずにいられなくなる。生存確率を医師に問い一喜一憂せずにいられない。
清志郎もそうだったのだろうか?医師に事実を告げられたとき、彼は何を思っただろう。
でも、ほとんど音楽の世界だけで生きてきた彼が、自転車によって新しい世界を見つけていたのなら、良かったと思いたい。それでますますディープ・ソウルに近づいた彼の新しい歌声が聴けるのだったら、もっと良かったのだけれど…
…あぁまた切なくなってくる。もう止めよう。


さっきちょっと調べてたら清志郎には『サイクリング・ブルース』という自転車本があるのだった。知らなかった…ひょっとして、そこに全部書いてあったりして(!?)  すぐにアマゾンで注文しましたとも、えぇ。レア本間違いなしですもん。『マイヨ・ジョーヌのためでなく』の隣に並べておくのさ、ベイビー!


ここまで勝手なことを書いてきて、今また新たな胸騒ぎが……米原さんもこの本を読んだのではないか…?

米原万里ランス・アームストロングと、忌野清志郎。この三人を並べられるのは世界でオレだけだな☆