ノーマン・メイラー / ザ・ファイト


今月始め、たまたまテレビでボクシングの番組をやっていたのを見た。1980年、四たび王座復帰を目指す、しかし明らかに衰えの目立つモハメド・アリと、当時絶頂期にあったチャンピオン、ラリー・ホームズの一戦を追ったドキュメンタリーだった。
タイトルマッチに向けてトレーニングに励む二人にカメラは密着していたのだが、肝心の試合映像はごく短かった。脂の乗りきった現王者が38歳の元王者をめった撃ちにする残酷なリング。「早く試合を止めるべきです」コメンテーターの声は虚ろに震えていた。
途中から見始めて、終わるとすぐ出かけたので番組名をメモするのすら忘れてしまったのだが、試合後のロッカールームで勝者ホームズが涙にくれていたのが印象的だった。このときすでに、アリにはパーキンソン症候群の兆候があったのだった。かつて「蝶のように舞い、蜂のように刺した」男の面影は完全に失せていた。

キンシャサの奇跡」は再現されなかったのだ。



ノーマン・メイラー / ザ・ファイト (384P) / 集英社・1997年 (110416−0421) 】

THE FIGHT by Norman Mailer 1975
訳:生島治郎



・内容
 1974年10月、米文壇の鬼才ノーマン・メイラーは、世界ヘビー級チャンピオン、ジョージ・フォアマンとモハメッド・アリとのタイトルマッチに沸くアフリカ、ザイール共和国(当時)に乗り込んだ。この『ザ・ファイト』は、メイラーが最も知りつくしているスポーツと、その力と力の勝負をめぐる人間の祭典「キンシャサの奇跡」を描いて、まさに最高の洞察力を示した。


            
        

タイトルマッチを控えた両陣営がキャンプをはる。トレーニングは1ドルの入場料を取って一般公開されていて、練習後には選手が観客の質問に答えたりサインしたりする時間がもうけられる。上記の番組では、アリが見事な手品を見せて、集まった子供たちを喜ばせていた。
コンラッドが『闇の奥』に描いた中央アフリカ、旧ベルギー領コンゴ・レオポルドビル=キンシャサで試合に備える二人のアフロ・アメリカン・ボクサーの日常も、「ホームズvsアリ」戦のドキュメンタリーで映し出されていたように、意外と淡々と、のんびりとしたムードなのだった。タイトル、というよりも、生死を賭けた決闘と目されているにもかかわらず、牧歌的とも言えるほどにじりじりと時間は緩く流れるのだった。
四十連勝中のチャンピオン、ジョージ・フォアマンからタイトル奪還を狙うモハメド・アリの調子は上がらない。このときすでに32歳。フットワークに往時のキレは見られず、フォアマンの強打を想定したスパーリングでは早々と息を上げた。そのスパーリング・パートナーの一人がラリー・ホームズなのだった。

 次の日のトレイニングでは、またもや、報道陣に向かって長広舌をふるい、最後にこうしめくくった。
「フォアマンは絶対におれを捕まえることはできない。ジョージ・フォアマンが相手なら、おれは鳥みたいに自由自在に動いてみせる」
 彼は片手を上げ、その掌を開いてみせた。と、そこから一羽の鳥が飛び去っていった。


イスラム教への改宗と改名(カシアス・クレイからモハメド・アリへ。1964年)。「ベトコンは俺を‘黒んぼ’呼ばわりしたことはない」としてベトナム戦争への徴兵忌避(1967年)。無敗のままタイトル剥奪。三年半のブランク。アリ不在の間に王座に就き、殺人パンチで鳴らす最強王者ジョージ・フォアマンのベルトにいよいよ元王者が挑む。話題は最大級だが、戦前の賭け率は一対三。いかにアリといえどもフォアマンのパワーの前には歯が立つまいというのが、大方の予想だった。
グレイト。あるいはザ・グレイテスト。今アリを振り返るときに必ずつけられる冠詞だが、1974年の当時にはどうだっただろう。ビッグマウス、ほら吹き、尊大な奇人のイメージは拭われていなかったのではないか。泥沼のベトナム戦争末期、オイルショック、大統領ニクソンウォーターゲート事件の時代。混沌のアメリカ社会でブラック・モスレムは象徴的存在ではあったかもしれないが、白人大衆がたかが一黒人ボクサーを「偉大」と称えるのには抵抗感があったのではないか。アレックス・ヘイリーの『ルーツ』はまだ数年先である。
ジャーナリストとして黒人の一大イヴェントを取材しながらも、ノーマン・メイラーはアリの偉大さを買う。それはいみじくも「人間の方に賭ける」と言った三島由紀夫と同じ態度だった。
「偉大なボクサー」と「偉大なる人類」の競演。それはアスリートとアーティストの争いでもあったか。漆黒のアフリカで、午前四時に(!)ゴングが鳴らされた。奴隷の子孫たるアメリカ人同士が繰り広げたその饗宴は、まさに「人類の祭典」だった。



スポーツメディアのお抱え記者としての職業意欲に駆られてメイラーはザイールに赴いたのではなかった。このインテリ白人は必ずしも黒人文化に好意を寄せているわけではない。ときに恐怖や敵意すら隠さない。しかし、稀代のボクサーにして革命扇動家たるモハメド・アリという個性には、皮膚の色では区別できない強烈なアイデンティティを嗅ぎ取っていたのだった。
たまたま世間に名の知れたライターとして大好きなボクシングの現場に立ち会う機会を得ただけといった感じの、気ままで鷹揚な観察眼。報道現場に付きものの知ったかぶりの誘導尋問は一切しない。余計な口をはさまず、ただその場にいて付かず離れずの距離を保ったまま、空気の変化に真意を読むことに努める。
本書前半にページが割かれた試合前日までの宿舎や練習場の光景は、ジャーナリスティックな立場をむしろ放棄したかのような記述である。アフリカでの異文化体験を綴ったエッセイのようであり、黒人国家で少数派の白人が感じる疎外感の分析を試みたりもする。対決する両者の戦績や身体の公式データやこの対戦の意義、アメリカ人がアフリカで試合をすることになった事情など、書いてあって当然のことが抜け落ちていたりする。復帰したアリがどのような経緯で挑戦権を得たのかすら書かれていない(1974年当時にはそんなことは周知の事実だったのかもしれない)。

 少しも怖れず、むしろ、喜び勇んでいる様子ですらあった。試合で敗れたわけでもないのにタイトルを剥奪されて以来、二千に及ぶ夜を無念のうちに過ごしてきた苦しみを、いまこそはらしてやろうといわんばかりだった。 ―ボクサーの挫折感は、『武器よ、さらば』を書こうとする衝動にまったく匹敵するものでありながら、その挫折感を本にして出版するわけにはいかないのである― それは、聖書に記されているような七年間の試練の時であったにちがいない。


それが試合開始のゴングと同時に一変する。精確なボクシング表現に徹して、1ラウンド三分間の出来事を鋭く見つめた筆致になる。フォアマンが猛攻を仕掛け、たちまちコーナーに追いつめられたアリは防戦一方。フォアマンが百のパンチを放つ間にアリはせいぜい十発も撃てない。
圧倒的にチャンピオン優勢。もはや勝負は時間の問題と誰もが思いこんだ序盤、自称‘われらがメイラー先生’はアリの右リードパンチが当たっているのを見逃してはいなかった。両者の表情の差も抜け目なく見ていた。『キャンバスの匂い』で藤島大さんが「ボクシングはこんなふうに書くのか」と痺れたと記している文章だ。
8ラウンド、アリの電光石火の右ストレートが炸裂してフォアマンは崩れ落ちる。倒れしなのその鼻先にとどめの一撃を見舞うこともできたはずなのに、アリはそうしなかった。そんなことをする奴はグレイトではないのだといわんばかりに悠然と相手が倒れるのを見送ったのだった。

何をもってアリをグレイトと呼ぶのか。オリンピック金メダルに始まる栄光のボクシング・キャリア。白人社会へ断固として「NO」を表明した先進と革新。辛辣な言葉と大らかなユーモアセンス。有言実行の人間性。様々な切り口が可能だろう。
だが、このフォアマンとの一戦をスポーツシーンの一断面ではなく、時代のうねりの現象として記録したメイラーのペンによって、偉大な人類の先導者としての、競技の枠を越えたより大きなグレイトがアリのイメージに定着したのではないか。
もちろん書く方もグレイトだから、そんなことが可能だったのだ。この『THE FIGHT』も「キンシャサの奇跡」なのである。



※ジョージ・フォアマンは引退後、キリスト教伝道師に転身。四十代でリングに復帰した。キンシャサの戦いから実に二十年が過ぎた(!)1995年11月、彼は45歳で世界チャンピオンに返り咲いた。
そのときの言葉が大好きだ ― “お前さんたち、夢をあきらめてはいけないよ。顔を上げて、星に願いをかけるのだ”




−追記−

モハメド・アリ かけがえのない日々 / 1996年 アメリカ映画 / 東芝DVD / 110425-0427 】
MUHAMMAD ALI : WHEN WE WERE KINGS

 
          


素晴らしいドキュメンタリー・フィルムだった(1997年アカデミー賞長篇ドキュメンタリー賞受賞)。おそらく最良の‘ブラック・ムービー’にして二十世紀の遺産の一本。
自身もコメンテーターとして登場するメイラーの『ザ・ファイト』をテキストとした映像作品といった感じなのだが、何といっても全編に収められた‘詩人’アリの生き生きとした言葉 ―「1分間に百万語」とメイラーがあきれた(文字どおりの!)マシンガントーク― に圧倒されっぱなしだった。
縄跳びをしながら、シャドーボクシングをしながら、ハード・トレーニングの最中にも彼は喋り続けるのだった。その頭のキレと言語感覚の冴えもまた、まさしくチャンピオンなのだった。


アフリカ人を「兄弟」と呼び、黒人の自立を訴えるアリ。自信過剰で大言壮語癖のある男に見えてしまうけれど、語っている内容は百発百中。サービス精神旺盛で常に周囲を笑わせるユーモアの持ち主でもあるから表面上には見えにくいけれど、あれだけの思想を固めるためには一人きりの真剣な思索の時間も大切にしていたはずだ。
自らを「王」あるいは「神の代理」と自己演出しながら、根本には白人主導の民主主義への冷静にして健全な批判精神がある。被抑圧者(黒人)の対白人社会への抵抗や憎悪ではなく、はじめから違っている他者として離脱、独立を志向する。だから彼は同じ黒人の対戦相手に対しても、白人に隷属していると見なせば容赦なかったのだ。彼はアフリカ人にこう語りかける ―「あなたがたには威厳がある。われわれ(アメリカの黒人たち)が失くしてしまったものを持ち続けている」
彼がグレイトなのは、詩人であり革命家であり哲学者でもあるチャンピオンが、どこまでも庶民的な人物だったということに尽きるのだろう。伝記作家や評論家が書くまでもなく、彼はすべてを自分の言葉で同胞たちに向けて語っていた。彼自身は「神の代理」だったとしても、「アリの代理」を必要とはしなかった。唯一無二。ゆえにグレイトなのである。


・クレイ少年がボクシングを始めたきっかけは、自分の自転車を盗んだ奴をぶちのめすためだった。
・アリ・ボマイエ!
・(公開練習で縄跳びをしながら)「俺は速さと頭脳で戦うボクシングの芸術家だ。やつは牛、俺は闘牛士
・メイラーの右リードパンチの解説!
ハーバード大の卒業式に招かれ講演したアリは、「即興の詩を」との会場からのリクエストにこう応えた ― “ Me,We.”(世界一短い詩)
・この敗戦のあと、ジョージ・フォアマンは二年のあいだ、鬱病状態だった。彼は「自分の心を自分の力で少しずつ再構築して」、「そしていま、彼ほど友好的で優しい男はいない」とメイラーは語っている。