河原理子 / フランクル『夜と霧』への旅

「二度と読むまい」とか言っておきながら関連本は読むのである。



【 河原理子 / フランクル『夜と霧』への旅 / 平凡社 (264P) ・ 20012年11月(130407-0410) 】



・内容
 一心理学者の強制収容所体験の記録『夜と霧』は、日本でどのように読み継がれてきたのか。フランクルの数々の著作が大震災後さらに広く読まれ、私たちの心に強く語りかけてくるのは何故か。「それでも人生にイエスと言う」 ―生きる意味を訴える思想の深奥を追う渾身のノンフィクション。


          


『夜と霧』には固有名詞や収容所の施設名が書かれていない。ナチスによるユダヤ絶滅収容所の記録であるにもかかわらず、ヒトラーをはじめアイヒマン、ヘスらの名前は出てこない。あくまでも強制収容された「一心理学者の」個人的な人間観察であることが強調され、まるで他人事のような淡々とした記述は最後まで貫かれる。本書著者が指摘しているように、1977年の改訂版(日本では2002年刊の新訳版)で加筆されるまで「ユダヤ人」という単語すら使われていなかった。具体的な人名や地名が伏せられたのは、この本が誰かを告発するのを目的としていなかったからだ。
その本が半世紀を越えて現在の日本で読み継がれているのはなぜか。『夜と霧』とはどんな本なのか。著者ヴィクトール・フランクル(1905-1997)はどんな人物だったのか。翻訳者をはじめ、生前のフランクルと親交があった日本人、フランクルの言葉に大きな影響を受けた読者たちに取材して、『夜と霧』の核心に迫ろうという試み。
2011年の朝日新聞夕刊連載「ニッポン人脈記」の書籍化。

 新訳の了承を得られた、と守田から電話で聞いたとき、池田は「霜山先生のすごさに、私、声をあげて泣いてしまった」と言う。
「だって、戦後、まだ海外渡航が制限されていたころに、霜山先生がドイツに留学して、そのなかで出会った原著。矢も楯もたまらなくなってフランクルに会いにいって……。それがベストセラーになり、ロングセラーになって、ある意味でご自身の人生を決定づけた本だと思う。それなのに……」


日本で『夜と霧』がみすず書房より刊行されたのは1956年(昭和31)。1946年に刊行されたものの、知られることはないまま絶版状態だった原書をボンの書店で見つけたのが西ドイツに留学中の心理学者・霜山徳爾だった。彼はウィーン在住の著者のもとを訪ねて感動を伝え、その場で日本語訳の出版を申しこんで承諾を得たのだった。『夜と霧』は一読者が著者に直接会いにいって交渉をし、さらに自ら翻訳までして出された本だったのである。
フランクルの本文にナチのユダヤ人政策の解説と強制収容所の資料写真を加えて刊行された日本語版は話題を呼び(当時の扇情的な書評記事や広告コピーが紹介されている)、発売二ヶ月で十二刷という異例のペースで売れたとのこと。
昭和31年の書籍ベストセラーを調べてみた。すると、なんと、5位にあるではないか!(ちなみに1位は石原慎太郎太陽の季節』) いかにこの書が当時のわが国に衝撃的に紹介されたかを思うと同時に、これが年間ベストセラー上位にランクインするとは実に日本的現象という気もしたのだった。
『夜と霧』は霜山の本といってもいいものだったが、彼が存命中の2002年に同じみすず書房から別の翻訳者による新訳版が出された異例の経緯も興味深かった。



日本では「崇高」とまで評され好意的に受け容れられていると思われる『夜と霧』だが、オーストリア本国やドイツでもそうなのだろうか。あの本に自分が感じていた座り心地の悪さの理由をおぼろながら本書に見つけることができて嬉しかった。
ユダヤ人への歴史的な差別感情。ある民族を「殲滅」しようとしたナチスの暴虐。全体主義社会の熱狂と恐怖。日本人には無縁だから(本当に無縁かどうかは取りあえず問わないこととして)、あるいは知らないから(気づかないふりをして)、政治と戦争状態の背景を無視して『夜と霧』は読むことができる。歴史的事実や具体的な事件が語られていないから、「苦悩」や「苦難」という言葉を容易に自分がわかりやすい抽象概念に置きかえることができる。
だがナチス体験を現実に身近に生々しく記憶しているヨーロッパの人々にとって ―とりわけフランクルと同じ収容所体験を知る者にとって― 心理学的考察とはいえ『夜と霧』に記されているフランクルの主張はそう易々と受け容れられるものではなかったのではないか。それが本書のメインテーマではないので詳しく触れられてはいないものの、解放されて故郷ウィーンに戻ったフランクルは「ひどい仕打ち」を受けたこともあったという。「本当は傷ついていた」と証言する親族もいる。おそらくあちらでは「現実から目を逸らしている」という批判、「ナチの擁護者」といった誤解やいわれのないバッシングが少なからずあったのではないか。

 フランクルの生涯を短い言葉で伝えなければならないとき、私は迷う。妻や両親を強制収容所で失って、ほどなく、立て続けに本を書き、その一冊がやがて世界的ベストセラーになった。悲劇的体験にもかかわらずそれを克服した人 ― という像は、あまり単純化されると、いま嘆き苦しんでいる人、そこからなかなか抜け出せない人を、追いつめることになるのではないか。


そうした現地の複雑な事情とは無関係に『夜と霧』は日本で親しまれてきた。読んでいて思い出したのは 『バイエルの謎』 である。『夜と霧』は日本独自の読まれ方をしてきたのではないかと思えてくるのだ。皮肉な言い方になるけれど、日本人はなぜフランクルが示した人間洞察を自らの戦争体験から導き出す作業をしなかったのだろうかとも考える。
著者は朝日新聞記者を経て現在は編集委員。つい頬笑んでしまったのは、この人も学生時代に生協書籍部で『夜と霧』を買ったものの、附録写真の強烈な印象ばかりが残って本文はしっかり読めなかったと告白しているのだった。誰かもそんなことを言っていたような気がするが……。彼女はその後、折に触れて読み返すようになり、ついにはフランクルの足跡を追ってヨーロッパに足を運んで本書をまとめた。あいかわらず???なままな例の誰かと比べると立派なものではないか。
ジャーナリストだけあって、フランクルの思想をなにかと現代日本社会の問題と結びつけて考えようとするところはいささか眉唾だったが、著者の「夜と霧への旅」はまだ途上らしい。いろいろな読み方をして年とともに理解が深まっていく本があるということはささやかでも幸福である。
本書はガイドブックではないが、随所にフランクルの思想が素直に柔らかく噛みくだいて説明されていて、ありがたいことに『夜と霧』を再発見したような気にさせてくれる。 そうとわかっていたなら無理して『夜と霧』を読まなくても良かっ   思想哲学はともかく、自分にとっては名著といわれる書物の核心、というか裏面史を知ることができて、「本の本」として愉しめたのだった。
『夜と霧』と一緒に並べておくのも悪くない一冊である。