佐野 幹 / 「山月記」はなぜ国民教材となったのか

新美南吉「ごんぎつね」が小学四年用国語教科書の定番であるということに触発されて…… ちょうどこんな本が出ていたので読んでみた。



【 佐野 幹 / 「山月記」はなぜ国民教材となったのか / 大修館書店 (311P) ・ 2013年 7月(130906-0910) 】



・内容
 「李徴=人間性欠如説」はいつ、なぜ広まった? ― 高校教科書の最高掲載回数を誇る中島敦山月記』が、「国民教材」の地位を獲得していくまでの秘められたドラマを解き明かしつつ、現在の国語教育が抱える問題を鮮やかにあぶり出す。高校国語教員、必読の書! 付録として、授業研究に役立つ「学習の手引き」調査結果、主題一覧、授業実践のヒント20選を収録。


          


高校国語教科書の四大定番というのがある。漱石「こころ」、鴎外「舞姫」、芥川「羅生門」、それに中島敦山月記」。確かにどれも自分の教科書(東京書籍)に載っていたけれど、何を習ったかはさっぱり覚えていない。ほんの数年前のことなのに…(←ウソ)。
ただ、授業内容はともかく「山月記」だけは大好きだった。「山月記」の授業が終わって次の単元に換わっても読んでいたし、現国以外の時間にも読んでいた。「山月記」は高2の教科書だったが三年になってもいつも通学カバンに入れていた。方程式や化学の定理はちっともおぼえないのに、諳んじられるほどこの硬質な漢文調の文章ばかり読んでいると、自分のような人間がいっちょ上がり!、というわけである。
授業は、虎と化した主人公・李徴の心理読解と主題研究のオーソドックスなものだったと思う。でも自分の場合はすっかり李徴=自分説の妄想にかぶれていたので、この物語を芸術至上主義者の不条理な破滅としては受けとめず、むしろ獣に化身する李徴への共感と憧れを胸のうちに募らせていたのだった。

 「山月記」の授業を受けたことのある読者には、高校時代「欠けるところ」をどう教わってきたかを思い出していただきたい。私は授業でここを通るたびに、冷や汗をかく。多様な解釈を生じる箇所であり、生徒の意見が予見できないのだ。ここをどう扱うかが腕の見せどころなのだが、ついつい、教師用指導書に頼ってしまうのである。おそらく、教室の中では「人間性の欠如」と似たような説明がなされてきたと思われる。長年、教師用指導書には「人間性の欠如」と類似した言葉が「欠けるところ」の解答として用意されていたからだ。


本書はその「山月記」の教材受容史。著者は現役の高校教師。四篇からなる『古譚』という中島敦の作品集から、他の三篇がまったく顧みられることのないまま「山月記」だけが有名になっていく経緯から、「山月記」が国語教材の定番作品として定着していく歴史的過程を時系列にそって追う。教員、教育関係者向けに書かれた教材研究の専門書で一般的な文学論ではないのだが、「山月記」は戦後ほぼすべての(何千万人もの…!)高校生が読んだ国民的作品でもあるはずだから、これはユニークな「山月記」作品論でもある。(大修館書店は国語辞典「明鏡」や英和辞典「ジーニアス」で知られる、教科書も発行している教育系出版社)
山月記」が初めて教科書に登場したのは1951年(昭和26)。時代は民主主義教育へと転換し、教科書は国定から検定へと移行する最初期のことだった。1948年に「中島敦全集」(筑摩書房)が毎日出版文化賞を受賞して、それまで無名だった中島敦の名が(1943年にすでに死去していた)一躍知られるようになったことも大きな要因だった。



戦後の時代変化にともなって学習指導要領は改訂され、国民の生活水準向上と進学率の急上昇とともに国語の授業に求められるものも変わってきた。その都度、教材としての「山月記」をめぐって論争や批判が起こり、問題点も指摘された。
自分は教員ではない、ただの中島敦ファンである。野次馬的な興味本位で読んだので、教育界の専門的な議論や、紹介されている先進的な授業の学習効果というのも今ひとつピンとこないところがあったのだが、深く考えさせられるという点においては戦後六十年に亘って変わらず教育現場で支持されてきた「山月記」の壮烈な生命力をあらためて思うのだった。

取りあげ方に多少の違いはあるものの、「山月記」学習理解の要点は次の三つである ― 1.李徴はなぜ虎になったのか。 2. 袁参(袁傪、えんさん)が李徴の詩に感じた「欠けるところ」とは何か。 3. 「尊大な羞恥心と臆病な自尊心」について。 ― なるほど確かに自分もそんなことを勉強したような記憶はおぼろにはあるのだが…… 
どうしたって「山月記」本文を読みたくなって岩波文庫を引っぱり出してきたのだが、自分なりのポイントは上の三点ではなかった。傍線が引いてあるのは使っていた教科書と同じ二箇所。学生時代に暗誦までした文が、そして授業を離れてあらゆる場面で口にしたフレーズが、やはり今でもいちばん好きな部分なのだった。
“ 今までは、どうして虎などになったかと怪しんでいたのに、この間ひょいと気が付いて見たら、己はどうして以前、人間だったのかと考えていた ”
“ 一体、獣でも人間でも、もとは何か他のものだったんだろう。初めはそれを憶えているが、次第に忘れてしまい、初めから今の形のものだったと思いこんでいるのではないか? ”

 この読解作業を終えた先にあるものは何か。難解な文体を乗り越え、ヒントを小出しにされながら、苦心して読解を終えた学習者の先に待っているのは、「好き勝手やっていると悲惨な目にあいますよ」という、お説教なのである。つまり、「好き勝手(「協調性に欠ける」「人間性の欠如」「切磋琢磨に努めない」等)やっていると、悲惨な目(虎になるという不条理)にあいますよ」という主題である。


いろいろな設問解答例や解釈案が示されているものの、自分が高校時代からずっと疑問に思っていたことは書かれてなかった。その謎とは、つまり自分に関わる秘密でもある。すなわち、「李徴はなぜ虎になったのか― 狼ではなく?」
もしかしたら李徴はもともと虎で、人間だったのは一時の仮の姿であり、元に戻っただけなのではないか。あるいは、一度は虎に化身したのだから、袁参と別れた後にまた他の獣に変わったかもしれない。たとえばオオカミとか。そんなことはありえないなどとどうしていえよう。人から虎へ、虎から狼へ、狼からふたたび人へ。そして詩人になりそこねた男が現世に生きているとしたら……(!)。
そもそも十代の始めから壮大な誤読をしていた可能性は否定しないし、李徴の弱みは自分の弱みであることを認めるにやぶさかではない。
まじめに自問自答すると、李徴が虎になったのは「詩人になれないのなら人間なんてやめてやる」と思っていたからである。本人がそういっているのだからまちがいないのである。妻子の面倒とか、そんなことは世間体を気にして誰でも口にすることであり、李徴の人間性とは直接関係ないことである。
詩人になれないのなら オオカミに 虎にだってなろう。人間のままいるよりはましではないか。人は吠えるために生まれてくるのではなかったか。李徴の慟哭は悲嘆からのものではなかった。心に一匹の獣(あるいは竜)を飼っていなければ詩人になんてなれっこないのである。李徴の悲運は自らの仮身にすぎない人間生活の延長上に詩人の栄誉があるとかんちがいしていた点にある。
高校教科書の「山月記」授業で無視されているのは「詩人とはいかなる人種か」なのである。


…などとここまでかなり脱線気味に書いてきて、ますますファナティックに暴走してしまいそうなので、ここいらでやめておこう。
前に柳広司パスティーシュ『虎と月』を読んだのを思いだしたので感想を見てみたら、今とまったく同じことを書いていてびっくりした。進歩がない。感想を書くのも良し悪しである。愕然としてひとり赤面する秋の夜である。