石田伸也 / ちあきなおみに会いたい。


先日、書店にて。文庫コーナーに一段高く積まれているのはまたしても「殺人鬼フジコの衝動」、しかも“限定版”ときた! 無視しようとしたのに勝手に手が動いてしまった。〈次作への序章となる書き下ろし「私は、フジコ」との二冊セット〉、とのこと。ふーん。
その山積みフジコの横にあったのがこの「ちあきなおみ」だった。



【 石田伸也 / ちあきなおみに会いたい。 / 徳間文庫 (260P) ・ 2012年 5月(120523−0526)】



・内容
 1972年のレコード大賞受賞曲『喝采』で有名な歌手・ちあきなおみは、1992年の夫の死後、表舞台から姿を消した。彼女の生い立ちから名曲誕生の知られざるドラマほか、多くの関係者の証言をもとに、いまなお復活が望まれている伝説の歌姫像に肉迫するドキュメント(2008年徳間書店刊「ちあきなおみ 喝采、甦る。」改題)。


          


この前、薬師丸ひろ子のCD買っちゃったよ〜と嬉しそうに話していた会社の先輩に、「ちあきなおみなんて聴いたことあります?」と訊いてみたら、一瞬言葉を呑んで「僕が初めて行ったコンサートはちあきなおみだったんだよ。高校一年か二年のとき」という答えが返ってきた。 ちあきなおみといえば‘喝采’一曲しか知らないし、それも懐メロ番組で見ただけ、それよりもコロッケのものまねの方が先に思い浮かぶ自分には、六つか七つ年上の先輩の反応は意外だった。
家にレコードがあったのでもないし親が特に好きだったふうでもないのに、自分は‘喝采’を歌える。‘ブルーライト・ヨコハマ’、‘北の宿から’、‘津軽海峡冬景色’…… 。自分自身のあれやこれやはどんどん忘れ去るというのに、子どものときにインプットされた歌は忘れない。考えてみれば不思議だし、(かつての)歌謡曲の威力というか影響力って凄いとあらためて思うのである。

 9月10日、「喝采」は発売された。ほどなくちあきは25歳の誕生日を迎える。残暑の中にも秋風が混じり始めるこの時期、まさかここから「大晦日の奇跡」へと向かうとは誰も思わなかった。


ちあきなおみの代表曲を各章タイトルにあてた全七章。もちろん‘喝采’にも一章が割かれている。
もう一人、別の先輩にも同じ話題を振ってみた。すると彼も見事に食いついてきて、「‘喝采’がレコ大を獲ったとき、大本命は小柳ルミ子の‘瀬戸の花嫁’でねえ〜」と仕事そっちのけでレコ大史上最大の激戦を熱く語り出すのだった。その口ぶりからすると、どうやら彼は、といっても当時まだ小学四年か五年生だったらしいが、‘ルミ子派’だったらしい。1972年(昭和47年)の日本レコード大賞。前年最優秀新人賞を受け、飛ぶ鳥を落とす勢いの小柳ルミ子が今年は大賞を獲るとのおおかたの予想を裏切って栄冠に輝いたのは、当時25歳、デビュー時の人気を失い低迷していたちあきなおみだった……というのはこの本を読んで知っていたのだが、まさにそこに書いてあるとおりのことを嬉々として語る先輩の話を黙って拝聴したのだった。
どうも自分の‘ちあきなおみ像’と年長者のそれとは違いがある。ちあきなおみは‘喝采’だけの、一演歌歌手ではなかったらしい。そのギャップを補完してくれたのがこの本だった。(どこを読んでも面白かった! 巻末の年譜とシングルディスコグラフィもGOOD!)
それにしても、自分の人生に直接関わりのない四十年も前のことをよくも憶えているものではないか! これも凄いことである。



YouTubeちあきなおみの‘矢切の渡し’を聴いてみた。細川たかしで知られるこの曲は、もともとちあきの売れなかったシングルB面曲だった。梅沢富美男がそのレコードをバックに踊ったことからじわじわと知られだすと、機を逃さず細川が焼き直して大ヒットを記録したのだった。
明朗な細川盤にくらべると、ちあきのヴァージョンはいかにも地味である。しかし、そのぎりぎりに言葉を削った短い歌詞(作詞:石本美由紀)をじっくり読めば、これはそんなに明るい歌ではないのだった。「つれて逃げてよ / ついておいでよ」 ―声音を使い分けた歌い出しの二つの「よ」に、すべてを捨てて道ならぬ恋に生きんとする男女の情感がこもる。人目をしのんでゆっくりと川を行く小舟に身を寄せ合う二人の姿が目に浮かんでくるのはちあきのヴァージョンだった。
美空ひばりが唯一自分のものまねにお墨付きを与え、「ひばりが認めた唯一の歌手」といわれた。石原裕次郎玉置宏(歌番組司会者)、美川憲一ビートたけし桑田佳祐らが「プロ中のプロ」と口をそろえる。名うての作詞家・作曲家たちも同期のライバルたちもこぞって彼女の表現力に舌を巻く。尊敬を隠さない多くのコメントから浮かび上がるのは「ミュージシャン・オブ・ミュージシャンズ」の姿である。昭和五十九年には、なんとビリー・ホリデーを一人芝居で演じる「LADY DAY」のステージに立っている。
もしかしたらこの人こそ、日本のソウル・シンガーだったのではないか。粗製乱造される安っぽい歌姫たちの中の、本物の‘LADY SOUL’だったのではないか。

 それでも、ひとつだけちあきの真価をしめす現象がある。ちあき盤は廃盤となって以降も、有線チャートは細川盤を抑えて1位を続けていたのである。


著者が追いかけ、記そうとしているのは、あくまで「歌手・ちあきなおみ」である。本名・瀬川何某という一般人女性ではない。一芸能記者が踏み入れられる領域をわきまえて、なぜ彼女が芸能活動をやめたのかを深追いしない。その線引き、節度がしっかりしていることが、文章の信頼度を高めている。芸能界に限らず今やどの分野でもプロとアマの境界はあやふやになり、表現は薄っぺらになる一方だが、芸能人にはプロゆえの矜持があり、記者はプロのプライドを尊重した時代のスタンスは最終章までぶれない。
ちあきなおみがいた時代(=プロフェッショナルな歌い手がいた時代)を丁寧に掘り起こしながら彼が望んでいるのは「会いたい」ではなく、もう一度「聴きたい」、ただそれだけである。その熱の純粋さが、これまで全く関心がなかった自分にも(たまたまこれを読む読者にも)ちあきなおみを聴いてみたいと思わせる。
もう一つ、これは遠くなりつつある昭和文化の一断面の証言としても成立している。カラオケブームによって「‘歌い歌’ばかりになってしまい‘聴かせ歌’が消えてしまった」と阿久悠を嘆かせた昭和の終わりから平成の現代にかけての大衆文化の変化が背景にある。「ちあきなおみ再評価」の気運はその反動であるのかもしれない。本物の歌手の名唱を聴きたいというのは、昭和育ちの日本人にとってはほとんど本能的な欲求なのだから。


          


レコーディングの際、ちあきはスタジオ全面に幕を張って、歌う姿をスタッフにも見せなかったという。集中力を高めて表現に没入するための儀式だったらしいが、何やら「鶴の恩返し」を想起させるこのエピソードに、自分は儚くも気高き‘人間の王’の影を読んでしまった。
そうして残された名唱の数々。あらためて心にとどめたい。


今、この本は薬師丸ひろ子ファンの先輩に貸し出し中(買いなさい!)。次はルミちゃん大好きな先輩へ。会社に静かなるちあきなおみブームが……